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NHK紅白歌合戦60年史 ⑤完 迷走する平成の紅白 [NHK紅白歌合戦]

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NHK紅白歌合戦60年史 ⑤完
迷走する平成の紅白 “内向き”感を強める運営

イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/music/618809/

■バブル時代の演出

 平成になって「紅白」は試行錯誤が続いた。2部構成となった元年(第40回)は第1部で、同年に死去した美空ひばりや、日航機墜落事故(昭和60年)で命を落とした坂本九、三浦友和との結婚を機に同55年に引退した山口百恵らの映像による“昭和の紅白名場面集”。第2部では光GENJI、少年隊、男闘呼組といった人気者たちによるヒット曲という内容に色分けした。

 また、翌2年(第41回)では「21世紀に伝える日本の歌・世界の歌」と題し、シンディー・ローパー、ポール・サイモンら大物を出演させ、海外からの演奏中継も実施するなど“バブル期”を象徴するような豪華な構成となった。

 この頃から、テーマを前面に押し出した番組構成になる。4年(第43回)以降のテーマは「テレビ40年・日本そして家族」「変わるにっぽん、変わらぬにっぽん」「戦後50年・名曲は世代を超えて」「ニッポン新たなる出発(たびだち)」「歌のある国・にっぽん」「勇気、元気、チャレンジ」「ニッポンには、歌がある~夢、希望、そして未来へ~」…。

 だが、そうした抽象的とも思えるテーマ設定は、逆にNHKの苦渋を色濃く印象づけた。多様化する価値観に対応しようとするあまり、CD売り上げや知名度で疑問符のつく若手や中堅、あるいは峠を越したベテラン歌手も登場せざるを得なくなった。





 「二部形式制をとり、音楽バラエティの色を濃くしているが、それは…(中略)…世代を越えたヒット曲が生まれず、二十代以下と中高年層の分化がますます歌謡界が流行歌を生み出すことを難しくしている現状の反映である」(古茂田信男ほか編「新版 日本流行歌史・下」〈社会思想社〉)との指摘は的を射ている。

■選考は“身内”指向に

視聴率(以下はいずれも第2部)も、関東では平成12年(第51回)の48・4%、関西でも14年(第53回)の48・6%以降、50%割れが続いた。さらに、16年に発覚した紅白の担当経験をもつ同局プロデューサーによる制作費横領事件で、紅白はもとより、NHK全体の「権威」「信頼」が崩れてしまった。

 紅白もその後、出場希望歌手の世論調査を公開するなどの努力を試みたが、これといった決定打は見つかっていない。関東では格闘技を中継した裏番組に数分間とはいえ、視聴率トップの座を奪われた年もあった。最近では、大河ドラマや朝の連続テレビ小説などに出演する俳優やタレントがより幅を利かせるなど、番組が“内向き”となった感は否めない。

 では、そんな中で紅白出場にこだわる歌手とは?芸能評論家の松枝忠信氏は次のように分析する。

 「紅白のもつ『ブランド力』にすがりたい人たちでしょう。CD売り上げが1万枚を超せば御の字といわれる現在、爆発的なセールスを稼ぐ一部のJポップを除いて、演歌でさえ紅白出場がギャラに影響することは少なくなった。それでも出ていれば、やはり視聴者のイメージはいい。だからこそ(小林)幸子は出場にこだわった。落選後は強気に振る舞っているようだが、トラブル後も出場に向けて相当な執念を見せたと聞いています」

■視聴率は下げ止まり

 昨年(第62回)の紅白は、東日本大震災からの復興を願い、千昌夫が「北国の春」、五木ひろしが「ふるさと」など被災者をいたわる曲を熱唱、視聴率は41・9%だった。一時は30%台後半まで落ち込んだことを考えると、下げ止まり感はある。娯楽がこれほど多様化する中、紅白を見て、除夜の鐘を聞く…という昔ながらの風習をもつ人がまだ4割もいる。存続や趣向、選考をめぐってさまざまな意見や噂が飛び交う中で、この事実は重くはないだろうか。

 たかが紅白、されど紅白…。




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