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NHK紅白歌合戦60年史 ①「垣間見える「選考過程」 小林幸子「落選」 [NHK紅白歌合戦]

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NHK紅白歌合戦60年史 ①
「垣間見える「選考過程」 小林幸子「落選」なんて大したことじゃない」

イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/music/618503/

今年で63回目を迎えた大みそかの風物詩「NHK紅白歌合戦」。かつては視聴率80%を超え、その歴史は戦後歌謡界のそれと言っても過言ではない。音楽ジャンルの細分化と娯楽の多様化で一時の勢いこそなくなったものの、現在も視聴率は40%台をキープし、多くの歌手にとっての夢舞台に変わりはない。そんな悲喜こもごもや懐かしの名場面を年代とともに5回シリーズで追った。(豊田昌継)

 ■予想通りの小林落選

 「NHKもうまくやりましたね。(小林)幸子の代わりに、77歳の美輪明宏を初出場させた。いわば“サプライズ枠”を差し替えたわけです」

 芸能記者の最古参の一人で、芸術選奨や芸術祭、日本レコード大賞の審査員を務める芸能評論家の松枝忠信氏はそう笑ってみせた。

 先月26日、北島三郎、和田アキ子、五木ひろしらベテラン勢に、AKB48、きゃりーぱみゅぱみゅら、今年も50組が選ばれた。そんな中、芸能マスコミが注目したのは所属事務所をめぐるトラブルで耳目を集めた小林の去就だった。結果は予想通り「落選」。

 もっとも、NHKにとって「小林を落とす」ことはさほど重要ではなく、「小林の代わりをどう埋めるか」だったようだ。落選の埋め合わせを同じジャンルや趣向で行うのは紅白の通例でもある。


■選考基準は3点

 現在の紅白出場者の選考について、NHKは「世論の支持・今年の活躍・今年の番組演出」(古谷太郎・エンターテインメント番組部長)の3点をあげた。過去の担当者の発言や経緯などを総合すると、具体的には(1)NHKが行う“好きな歌手”などの世論調査(2)「NHKのど自慢」のリクエストの多い曲(3)NHK番組への貢献度-などに集約される。民間の情報調査会社に依頼することもあるという。

 NHKでは、毎年春ごろには“紅白プロジェクト”を立ち上げるが、最優先事項の一つが「大物の落選決定と処遇」とされる。それらの歌手(=所属プロダクション)には発表の、かなり早い時期(夏ごろ)に内々で通知するといわれる。出場決定に先立ち“紅白卒業”を宣言した歌手の多くは、これに当てはまるという。

 ところが、小林に通知されたのは発表直前だったとされる。「芸能マスコミは“美川憲一との衣装対決”などと幸子の存在感をあおってきたが、NHKにとっては駒の一つにすぎないということでしょう」と、松枝氏は語る。

 ちなみに、小林と美輪。共通点はなさそうにみえる。だが、当時・丸山明宏の名で「メケメケ」のヒット曲をもつ美輪が、アメリカンフォークの影響を受けた“社会派歌謡”の代表の一つ「ヨイトマケの唄」をリリースしたのが昭和41年。同じころ、「天才少女歌手」といわれながらその後、ヒット曲に恵まれなかった小林が路線変更を試みようと、同様の「出稼ぎ父ちゃんの歌」を出したことはあまり知られていない。

 美輪の女装姿の派手ないで立ちは、数千万円といわれた小林の大がかりな衣装に匹敵するだけのインパクトはある。そこに“代替”を見いだしたのではないかというのが松枝氏独自の見立てだ。

 ■芸能プロダクションとの“攻防”

 もちろん、選考についての噂は今に始まったことではない。NHK・レコード会社・芸能プロをめぐる舞台裏での“攻防”は視聴率が70~80%といわれた昭和30年代後半から40年代前半からあったといわれる。紅白で歌われた曲の注文が正月明けにはレコード会社に殺到した時代だ。

 今でも「やりがいはある一方で、自分が担当でなくて良かったと思うことは2度や3度ではない」と、担当経験をもつNHK現役幹部が漏らす「紅白」。ただ、昭和26年の番組開始当初、そこまでの“国民的人気番組”になるとは誰も予想だにしなかった。



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