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NHK紅白歌合戦60年史 ③驚異の視聴率80%超 黄金時代 [NHK紅白歌合戦]

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NHK紅白歌合戦60年史 ③
驚異の視聴率80%超 
TV隆盛とともに8000万人が見た「黄金時代」

(イザ!)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/music/618741/


■ビデオリサーチ“始動”

 皇太子(現在の天皇陛下)のご成婚(昭和34年)を機に、テレビの普及が飛躍的に進んだ37年、情報調査会社「ビデオリサーチ」による視聴率調査が始まった。

 高橋圭三アナウンサーの後を継いだ宮田輝アナと森光子の司会で行われた同年の第13回は80・7%(関東地区のみ)、関西でも調査始まった翌38年(第14回)は視聴率史上最高となる81・5%(同地区、関東は81・4%)を記録した。実に8000万人が「紅白」を視聴していることが証明され、改めて国民的番組として目が離せない存在となっていた。

 一方で、歌謡界最高の栄誉とされる「日本レコード大賞」が34年にスタート。初代大賞の水原弘は受賞曲「黒い花びら」で同年(第10回)に初出場を果たした。初期の紅白は歌謡曲のほか、ジャズやラテン、シャンソンなど幅広いジャンルから選ばれたが、この時期から年間ヒット曲の集大成の色合いが濃くなっていく。水原とともに「情熱の花」で初舞台に立ったザ・ピーナッツなど、歌謡曲というジャンルが和製ポップスや演歌などに細分化されるのもこの頃からだ。


また、30年代初め、平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎の“三人男”が席巻したロカビリーブームの後、同年代後半に巻き起こったGS(グループサウンズ)ブームをめぐっては、NHKが発行するウイークリー・ステラ臨時増刊「紅白の50年」に次のような記述がある。

 「(昭和41年、第17回)当時、GSは奇抜な衣装と長髪が“良識派”のひんしゅくを買っていた。その中で、音楽性、ステージ・マナー、ルックスともに認められた(ジャッキー吉川と)ブルー・コメッツが初出場」。良識派という言い回しに、NHKの見識が垣間見られる。

 一方で、ブルースの女王・淡谷のり子や「もしも月給が上ったら」の林伊佐緒ら“戦前派”が36年を最後に相次いで姿を消すなど、新旧交代は急速に進んだ。

 そうした選考をめぐっては、芸能マスコミもこの頃から週刊誌を中心に「“紅白”51番目の怒り 歌合戦出場25組にもれた歌手たち」「NHK前田(義徳)会長殿、これがホントの紅白ベストメンバーだ」などの内幕話が取り上げられ始めた(牧山泰之「思い出の紅白歌合戦」〈鹿砦社〉参照)。

■ひばりスキャンダル

 そんな中、紅白が芸能界最大のスキャンダルに見舞われる。昭和38年(第14回)から47年(第23回)までトリを務めた女王・美空ひばりが、実弟の暴力団関連事件に絡んで翌48年、紅白の舞台から姿を消した。

 「ひばり姿消す 諮問委員会 きびしい世論を反映」。出場者発表翌日の同年11月22日付サンケイスポーツは、NHK・坂本朝一放送総局長(当時、のちの会長)が「私が断を下した」とうたいながら、事実上の決定を有識者10人による諮問委員会(通称・ご意見をうかがう会)にゆだね、NHKは“出場を希望”していたが“世論が欠場を決めた”との立場を取った経緯を先の見出しとともに報じている。

 ひばりは、この官僚主義的な対応に不信感を抱き、その後のNHKからの出演オファーを長年断り続けている。再び紅白の舞台に立ったのは、54年(第30回)。特別出演として「リンゴ追分」など3曲を歌う破格の待遇を受けている。




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